SF雑誌オルタナvol.1 またはSFとかよく知らないのに寄稿を頼まれた雑誌の編集長がクビになった件
ちーっす。すっかりブログの更新頻度が落ちてしまった。僕にとって文章を書くことは日常の一部ではないな、と思う。基本的に気分が乗った時しか書かないし書けない。この数年、電子書籍やウェブ小説で作品を発表する人たちとの交流が増えた。彼らは毎日書いてる。「書かないと死んでしまう」とか言う人もいる。こういう感覚ってわからない。でも彼らがそう言うんだからそうなんだろう。
人はなぜ文章を書くのか?
そんな切り口で電子書籍の書き手たちのインタビューや対談を収録した本が今年の六月に刊行された。書名を『もの書く人々』という。辺見庸の『もの食う人々』へのオマージュなのだろう。どういうわけか僕のインタビューも載っている。「俺、必要なくない?」と、オファーがあった時に編集の根木珠さんに僕は言ったのだが、結局彼女の熱意に負けて引き受けてしまった。果たして彼女の期待に応えられたのかよくわからない。倉下忠憲さんは、この本が作家の「ヴォイス」を引き出せていると評価してくれた。この本の多くの部分はFacebookのグループの投稿を編集したものなので、かなり「素」に近いコミュニケーションが行われているからだと思う。
ヴォイス(下唇を噛みながら)。

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- 作者: 辺見庸
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とはいえ結局僕は彼らの持つ、書くことの切実さを理解できた気になれなかった。
文章を書くこと自体は嫌いではない。自分と向き合って考えを整理し言葉を選んでゆく内省的な感覚が好きだし、誰かの反応を思い浮かべながら文章の随所にいたずらを仕込んでゆくのも楽しい。ただ息切れしてしまう。五千字くらいが限界だ。どうしても分量が書けない。しかもものすごく時間がかかる。エッセイ的なブログ記事1本にも3時間とかかかってしまう。それからフィクションも書けない。自分の書いたものが空虚な絵空事に見えてしまって続かない。こういうのって訓練でどうにかなるものなのだろうか?
「創作は筋肉だ」と誰かがツイッターで冗談めかして言っていた。そうだとしたら少なくとも僕の作文筋はあんまり鍛えられていないと思う。短距離向けの白色筋肉なら少しはついているかもしれないが、長距離向けの赤色筋肉は極めて貧弱なことだろう。
そんな僕を余所に「彼ら」は相変わらず書き続けている。最近では電子雑誌やアンソロジーなどコラボレーションがちょっとしたブームで、実に楽しそうに企画に取り組んでいる。良いことだと思う反面、一抹の寂しさも感じる。こういった動きは外にはまるで届いていないはずだからだ。僕がまだ元気だった頃は、ツイッターやブログなどオープンなコミュニケーションの主軸だった。これらをシェアし「同じものを見て同じことについて考える」ことでコンテクストが共有され、なんとなく電子書籍をめぐるコミュニティらしきものが形成されていたと思う。現在の「彼ら」のコミュニケーションの主軸はクローズドなFacebookに移っておりコミュニケーションの密度は高まったものの、コンテクストは薄まり蛸壺化が進んだように思えてならない。けれどもコミュニティの熱量が高まった後に、拡散して蛸壺化するのは宿命のようなものなので、嘆いても仕方のないことなのだろう。何よりも肝心の僕はろくに動けていないのだから。
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SF雑誌オルタナ vol.1 [現実以外]edited by Sukima-sha
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先日、彼らの企画の一つSF雑誌『オルタナ』が刊行された。編集長の伊藤潤一郎は隙間社という屋号で電子書籍を刊行している。隙間社の作品が持つニヒリズムすれすれの感覚が僕は好きだ。文章にはキャッチーでユーモラスなエッセンスが散りばめれられているが、根底にあるのは絶望と虚無感だと思う。彼は文学や文章を書くことの意味に絶望しかけている。それを物語や言葉遊びやユーモアの力によって辛うじて踏み留まっているのだ。だから彼の作品を読むのはスリリングで苦しく、それゆえに共感を覚える。

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SF雑誌を作ろうとFacebookで盛り上がっている彼らを僕は横目で見ていた。僕はといえばSFはそれほど読んでいないし思い入れもない。どちらかといえば「めんどくさい人たちが多いジャンル」ということで敬遠する気持ちすらある。ついでに言うと雑誌というメディアにも思い入れもない。ただ雑誌を作るという行為に人を夢中にさせる要素があるらしいとは思っている。だから当然、伊藤潤一郎から寄稿のオファーがあった時の気持ちも「めんどくさい」だった。
いや、ホントめんどくさいんだよ。ツールの開発とか電子出版のサポート的な立ち位置にいる僕は、物書きと文章で張り合って余計なトラブルとかに巻き込まれたくない。こっちは文章を通して何者かになりたいなんて思っていないし、そろそろセルフパブリッシングの界隈から距離を置こうと思っていた頃だったから(いろんな人から引き止めのメールを頂いた)。そんなわけで僕は根木珠さんにオファーされたときと同じようにゴネた。「俺、作家じゃないじゃん」「俺、SF知らないよ?」「俺が寄稿する必然性を感じない」「俺フィクション書けないし」。そして根木珠さんの時と同じように食い下がられて折れてしまった。気がついたら「何でもいいから、文章を書いて出す」と約束させられていた。伊藤潤一郎には編集者の才能があるのかもしれない。
結局、『ロール・オーバー・ベンヤミン』というエッセイを書いた。普段使っていない作文筋はなまりになまっており、締め切りを大幅にぶっちぎる迷惑をかけた。ファッション感覚で現代思想に手を出した大学生の頃の恥ずかしい僕の姿や、すっかり俗物になってしまった今の恥ずかしい姿などを書いた。SF雑誌にふさわしい内容なのかわからないが、米田淳一さんが間違いなくSF
と解説してくれているので、そういうものなのかもしれない。

- 作者: ヴァルターベンヤミン,野村修
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以下は創刊号のラインナップだ。自分で自分たちを「豪華だ〜」「濃ゆい」「実力者揃い」とか言うのはとても恥ずかしくて言えない。小銭を払って購入してくれた人の判断に委ねたいと思う。
- オラクル (大滝瓶太)
- 詐欺師の鍵 (山田佳江)
- シャノン・ドライバー (米田淳一)
- ロール・オーバー・ベンヤミン(ろす)
- 痛みの見せる夢 (淡波亮作)
- プラトーン・スタンダード(波野發作)
- アルミ缶のうえに (伊藤なむあひ)
こちらもありがたいことに倉下忠憲さんがレビューしてくれている。
山田さんが作ってくれた公式サイトもある。ウチのでんでんランディングページより使いやすそうでWixすごいと思った。
淡波氏によるPV。ホント何でもこなすなこのオッサン。
ちなみに最後まで読めばわかることだが、編集長の伊藤潤一郎は今回で辞任することになった。一身上の都合と書いてあるが実態はクビだったとだけ言っておく。彼のスカした編集後記はフツーに面白いのでおまけ的に楽しんで読まれて欲しい。次号からは編集長に山田佳江さんが就任するが、彼女もクビになるかもしれない。そういう雑誌なのだ。
長くなってしまったが、滅多に文章書かない僕の数少ないエッセイなので、興味を持った方はポチっていただけると編集長に対する面目が立って助かる。よろしこ。
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SF雑誌オルタナ vol.1 [現実以外]edited by Sukima-sha
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